オカンとの上京物語ですの。DATA: 2022年2月10日木曜日オカンは泣いた。 初めて泣いた。 オカンの笑顔は見たことがない。 ただ、オカンの泣き顔も見たことがなかった。 それを、その涙を初めて見たのは、 わたしが26歳の春、東京へ上京する時だった。
わたしは一刻も早く、家族から仕事の人間関係から逃れたかった。 オカンに「ヨーコ、東京行くから」とオカンに告げた三日後に、 わたしは全てを捨てて去った。
上京するその日オカンは、「バス停まで付いていく」と言った。 「ヨーコ、東京行くから」と言った三日前、 「好きにしい! どこでも行ってのたれ死ねばええわ!」 そう言ったばかりのオカンが、 「バス停までついていく」と言った。
そんなことも初めての経験だ。 わたしは驚くよりも何かうすきみが悪かった。
トランクなんて高級なものは持っていなかったし、 持参するのも両手に持てる範囲のモノと、 Gパンの後ろポケットに突っ込んだ文庫本と、 文庫本に挟んだ現金5万円くらいのもの。
小さめのバックをオカンの自転車にのせ、 わたしがその自転車を押しながら、 会話の一つもなくバス停へととぼとぼ向かった。
「付いてこなくていいのに」 「なんで今更、付いてくるとか言うんやろか」
オカンも家族も友達も知人も何もかも全部捨てたかったわたしには、 「お前も皆もわたしを無いものにしたじゃないか」 「だからもう、せめて放っておいてくれ」 そんな思いが渦巻いていた。
バス停までの気まずい10分間。 「本当にもう、やめてくれよ」と思いながら、 わたしを前にしてオカンが付いてくる。
バス停についた。 バスが来るまでの時間は、10分ほどあった。 その10分がまた気まずくやるせなくて、 お互い無言のまま、わたしはタバコを吸って時間を潰した。
バスが来た。 感傷的なものは一つもない。 今すぐこの状況から脱したいわたしは、 ひったくるようにオカンの自転車に乗った荷物を奪った。
と、バスに乗り込むステップの階段で、 オカンがわたしの手首を強く握った。
「こんなに小さな子が」 「こんなに小さな子が」 「どうやって一人で東京でやっていくんやろうか?」 そうボソリと呟くような言葉を発した後、 オカンは、泣いた。
「やめて! やめて! やめて! やめて!」 「今更やめろよ! ふざけんな、今更やめてくれ!」 「わたしを散々と透明人間にしたのはお前やろ!」 「やめて! やめて! やめて! やめて!」
強く握られた手首を、 その手をわたしは引きちぎるようにふりほどき、 バスの中に乗り込んで、一番後後部座席にすわった。
椅子に座り込んだわたしは、 バックを小さな子どもを包み込むように強く抱きしめ、 ひたすら目をつぶって、「やめてやめてやめて」と心の中で連呼した。
「ブーーー」
バスの扉が閉まる音がする。 エンジンが勢いを上げる。 そしてゆっくりと発進する。
ハッと自分でも無意識に、 背面に大きく窓を取られた後部座席から、 後ろを振り向いた。
オカンがいた。 自転車のサドルを両手に持ちながら、 無表情でわたしを見つめながら、 ただただひたすらボロボロ涙をこぼす、 オカンの姿を見つけた。
「卑怯やな」
そう思ったか思っていないかは覚えていないが、 気がつけばわたしも泣いていた。 オカンの姿が見えなくなるまで、 ずっとずっと後ろを覗き込み、 めちゃくちゃに、泣いた。
「お母さん、ごめんなさい」 「お母さん、今までありがとう」 「お母さん大好き」 「お母さんお母さんお母さん」
そうしてわたしは東京へ出た。 涙をボロボロこぼした母親を捨てるようにして。
お母さんは本当はわたしを好いていてくれたのだろうか。 だってあなたはわたしを散々無視して殴ったじゃないか。 殴るのはまだいい、無視されることの悲しさを植え付けたじゃないか。
なのに切ない、切なすぎて、胸が鷲掴みにされたようにギュウッと痛む。
わたしはやはり、ずっと、オカンを求めていたのだ。 あの時のあのバス停のあの涙で分かった。
お母さん、大好きやで。 世界中で一番、大好きや。
PS わたくしとオカンは今、良好な関係にあります。 オカンは今、ガンの抗癌剤点滴治療で意識を失い入院し、 兼ねてから日々生存確認で毎日かける電話で、 「お腹が痛いお腹が痛い」と言っていたのですが、 腸閉塞であったようで入院中です。 毎日毎日、連絡をとっています。 3月に大阪へ長期帰省します。 やはり、未だ、ぎこちない疑似親子の会話。 でもわたくしは、殴られてた昔も、毎日連絡をとる今も、 めちゃくちゃお母さんが大好きなんです。 それは、きっと、変わらない。
思えば、自分が養子だと言うことで、 お母さんからも未だクソ兄貴への思いはダダ負けですが、 自分の「お母さん、大好き」を、 オカンが死ぬまで残しきってやりたいと思います。 わたしができるのはそれだけ。 「お母さん、愛してる」 では。
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