主治医への手紙、ですの。

DATA: 2016年10月8日土曜日

わたしが薬物に溺れてから9年間、ずっと付き添ってくれた主治医がいました。

初めて会った時、初めてかけられた言葉は、「もう、あなた、限界よ」。

顔面一面自傷で血だらけになり、リストカットアームカットをリストバンドで隠し、体重が33kgまで落ちていた頃だった。

「何言ってんすか先生! 大丈夫っすよ! 余裕っすよ!」

そう言うと、彼女は、言った。

「もう、笑わないで、私まで悲しくなるの」

だからわたしは、彼女を信用し、着いて行こうと決めた。

それから9年もの月日が経ち、わたしの顔と手首や腕の傷も消え、

体重は内科から「少し痩せましょう」と言われるほどの立派なモノになった。

なのに、なのに、主治医が地元で開業するため、東京を去ることになった。

そして診察最後の日、彼女は、言った。

「頑張らないで」

診断名は『複雑性PTSD』

病名は複雑性PTSDからの起因による、

薬物依存症、鬱病、睡眠障害、解離性障害、対人恐怖、パニック障害etc、、、

一生完治のない病気のため、彼女がいなくなっても、わたしの精神科通いはまだまだ続く。

けれど、先生以上の理解者であり、母親のような存在の人間も、もう一生現れないだろう。

だけど、わたしは 「先生、こんなに元気になりましたわ!」

そう、作らない笑顔で笑える日を目標にし、ずっとずっと生き抜いてやる。

これは、先生へ向けた、稚拙なラブレターです。

先生のこと、一生、忘れてやるもんか!!!

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○○先生へ

先生、本当に今までありがとうございました。

大袈裟ではなく、本当に、先生と出会えた事で、

わたしの人生は大きく変わったような気がします。

先生と出会えたことで、ドラックをやめられました(今のところですが…)。

先生が褒めてくれたら、頑張ろうと思いました。

先生が聞いてくれたから、涙が出るようになりました。

先生が怒っていいと言ってくれたから、過去を笑い飛ばせるようになりました。

先生が支えてくれたから、人の幸せにいちいちひるまなくなりました。

先生が喜んでくれたから、早朝パン屋に行き、バターを買う喜びを知りました。

先生が居てくれたから、死ぬことをやめ、生きようと思いました。

先生が感情や幸せに気付くことを教えてくれました。

だから、私は強くなった。

これから先の事がどうなるかなんて、私にも分かりません。

だけど、私は強くなった。

だから、大丈夫だと思うんです。

色んな何かを教えてくれて、与えてくれて、ありがとうございます。

自分が『在る』事の意味を考えながら、必死で生きてみます。

また、誰かを救ってあげてください。

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ちっす! 大阪生まれの東京くされの、四流ライターでっす!! ちょっと、ノイローゼ気味なところと、ブッチャー並の流血ぶりが、ちゃめっけたっぷりと誉められます。SEX ドラック 精神病です☆☆