友達と大阪と薬物中毒と
DATA:
2008年4月12日土曜日
久しぶりに大阪帰った。
私がリタ中でパニック障害だと知っていた親友は、
面倒くさいし私の最寄り駅まで向かうタクシー代もかかるのに、
すべての電車を付き添ってくれたうえに送迎までしてくれた。
また別の友達はなぜこんなにも帰ってこなかったんやと。
リタ中でヤク中で精神病院入ってましたぁと、
自分的には笑えるギャグにしようとしたら、
瀧本頑張らんでええとその場で泣いてしまった。
また他の友達はあの子を守ってやってと親友に告げていた(らしい)。
精神力が弱く精神病や薬物中毒になってしまった私のことを、
責めもせず励まし助けてくれる友達たちからの無償の愛情。
なんでみんな私みたいなダメ人間に泣けるほど優しいのだろうか。
感謝の言葉しか思い浮かばない。
自殺なんてもうできないと改めて思った。
自分の苦しみよりも人が自分のために苦しむほうがもっと苦しい。
東京にたくさん知りあいはいる。
しかしとても仲のよい知り合いであって、
中・高校生時期をともにした親友達のそれとは、
まったく重みが違う。
精神病のためには地元大阪に戻ったほうが当然いいだろう。
けれど私はまだまだ東京でやりたいことがあって、
夢は叶わなくてもいいただそれに挑戦しなくては、
あの時こうしていたらと一生文句を言いながら生きていくことになる。
だから今はまだ温かい大阪よりも東京で生きることを選ぶ。
楽しかった嬉しかった。
素でいられる友達達と飲んで笑って泣いて。
今はエネルギー満タン状態で、
これでまたしばらく生きていくことができる。
その時期がいつになるかなんてまったく分からない。
けれどやりたいことやり尽くしたら大阪に帰ろうと思う。
笑ってVサインでただいまとみなに告げよう。
みなお帰り遅かったなと笑ってくれるだろうか。
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