おかん

DATA: 2007年3月18日日曜日

「余裕がなかったんよ……」
「え!?」
「余裕がなかったんよ……」

リタリン依存症を治すために、
閉鎖病棟に入院しなければならない。
生命保険に入っていると、
入院費用が若干安くなると聞いたので、
おかんに生命保険に入っているかと電話したのだが。

同じ言葉を2度繰り返した後、
おかんが泣いた。
そして泣き声を震わせながら、
長年1人で抱えてきた思いを語り始めた。

容子、ごめんなごめんな。
容子をこんなにしてごめんな。
お母さん余裕がなかった。
あの頃本当にお金がなくて、
毎日の仕事にいっぱいいっぱいで。
2人を育てることに必死で、
まだ小さいお前達に声をかけてやることもできなかった。
話を聞いてやることもできなかった。
褒めてやることもできなかった。
愛情を注いでやれなかった。
どんなに寂しい思いをさせたかと思う。
甘えたいやろうにワガママ言いたいやろうに、
小さいお前達がお母さんを気遣って我慢して。
あの頃お前達をちゃんとかまってやれてたら、
会話のある家族になってたと思う。
お母さんのせいでお兄ちゃんは出て行った。
お母さんのせいでお前は精神病なんかになった。
閉鎖病棟ってお前……。
そんなヒドイところに閉じこめさせてごめんな。
お母さんずっと罪に思う。
容子、ごめんなごめんな……。

泣き声で途切れ途切れになるおかんの会話。
私はもう33歳でそんな今までおかんは1人で、
罪の意識を背負っていたのかと知って切なくなる。

確かに我が家に会話はなくて、
仕事でヘトヘトのおかんを気遣って、
精神科医からは幼少期の愛情の枯渇からくる、
典型的なアダルトチルドレンでボーダーですと告げられたけど、
おかんとお兄ちゃんと私は3人きりで生きてきたし、
そんなものは全部仕方がないことだと思ってた。
だけどずっと罪の意識を背負っていたおかん……。

お母さん聞いて?
お母さんにはなんの罪もないんやで?
水商売にも走らずパートと内職で、
お兄ちゃんと容子を育ててくれたおかん。
そんなおかんを容子は尊敬してる誇りに思う。
容子おかんのためなら何でもできるで?
何からも守ってみせるで?
おかんの悲しいこと辛いこと全部変わってやりたい。
おかんの子供に産まれて良かった。
世界で一番おかんが大切。
おかん愛してるよ。

愛してるよ。
そんな外人みたいな恥ずかしいこと、
自分が口にするなんて思ってもみなかった。
だけどスルリとその言葉は出た。
どれだけおかんを思っているかを分かって欲しかったのか。

容子、ありがとうなありがとう。
容子にそんな風に言うてもらえて、
お母さん救われる。
だけどお母さん罪に思う。
我が子をこんなにして罪に思う。
何で変わってやられへんのやろか?
容子をこんな風にしたお母さんを憎んで……。

罪じゃないって言うたやろ?
罪なんて思われたら逆に容子しんどいよ。
それと2度と憎んでなんか言うたら本気で怒るよ。

分かった、
ごめんなごめんな。

最初から最後まで泣きっぱなしだったおかん。
私が閉鎖病棟に入ることがよほどショックだったのだろう。
全部自分のせいだと責めて責めて責めて……。

今の世の中、片親なんて全然珍しくないことで、
子供の頃は分からない愛情も大人になれば痛いほど分かる。
私とおかんは間違いなく深い愛情で結ばれているし、
細腕1本で育ててくれたことへの尊敬とか感謝とか、
愛情プラスの深い慈しみや敬いをおかんに感じてる。

30年以上も1人きりで罪の意識を抱えてたおかん。
涙と一緒に吐き出して少しはラクになれただろうか。
愛してるなんてド恥ずかしいことまで言わされた私の気持ち、
おかんの心にちゃんと届いているだろうか。

片親は二人三脚、父親という支柱が1本足りないから、
守って守られて2人で支え合って歩いていかなければ行けない。
1人かけたら倒れてしまうからお互いの存在が必要だ。
だからこそ大切に思うし2人きりだから絆が深まる。
私とおかんの二人三脚、今まで必死で支えてもらった。
今度は私がおかんを支える順番だ。
弱くてすぐ泣くおかんを力の限り守って支えていきたいと思う。

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リタ断絶閉鎖病棟情報求ム!!

DATA: 2007年3月18日日曜日

これコミュニティにも立ててるんですが、
誰も読んでくれてる気配がないので、
ここでも書かせて頂きました!!
コミュニティに書き込んだ文章まんまなので、
ちょいかしこまっておりますが、
知ってるかたがいらっしゃったらぜひ教えてくり!!

リタ依存歴6年目、1週間150Tの中毒患者です。
東クリ休診の時にめちゃくちゃ焦りまくって、
リタ売人と電話取引している所を彼氏に見つかり、
「リタリンを止めないなら別れよう」と言われました。
大好きな彼氏と別れたくないのはもちろんのことですが、
40〜50歳になってもリタリンと叫ぶ自分も嫌で、
真剣にリタリンを断絶しようと決意した次第です。

そして薬物依存症治療専門の病院に行ったのですが、
リタリンを止めるのは覚醒剤を止めるよりも難しいこと、
(覚醒剤よりも欲求が強く離脱症状も激しいらしいです)
自分でコントロールできるのならここまでいかないこと、
コントロールできない状態を依存症と呼ぶこと、
自分で断薬するのはほぼ100%近くムリだということ。
よって「閉鎖病棟に入院して下さい」と言われました。

いきなり閉鎖病棟入院なんてとても怖くて仕方ありませんが、
先生の言う通り自分で制御できれば依存症になってませんし、
なによりリタリンを本気で止めたいという思いから、
通院ではなく閉鎖病棟に入院しようと決意しました。

前置きが大変長くなってしまい申し訳ありません。
リタ断絶のための閉鎖病棟入院にあたり、
病院からは世田谷区の松沢病院を教えられたのですが、
知人に聞いたところによるとその病院は、
”カッコーの巣の上で”まんまの病棟らしいんです。
ただでさえ狂いそうな禁断症状と戦わなければいけないのに、
そんな病棟では本気で気が狂ってしまいそうです。

また同じ知人から聞いたところによると、
三鷹の井之頭病院が規律も優しく環境良しとのことなのですが、
電話で問い合わせるとアル中患者のみ受入れとのことでした。

1〜3ヶ月の長期間を禁断症状と共に過ごす病院ですから、
”カッコーの巣の上で”ではおかしくなってしまいますし、
できるだけ環境の良い病院で依存症を克服していきたい。
とても不安で怖くてどうしようもないんです……。

けれど知人からの情報はこれ以上ありません。
自分でも探してみましたがどこが良いのか見当もつきません。

そこで環境が良くて入院施設がある病院をお知りであれば、
ぜひ教えて頂けないかとトピックを立てさせて頂いた次第です。
決意したもの怖くて仕方ない私を助けて頂けませんでしょうか。

とても長いお願いになってしまい申し訳ございませんでした。
みなさまのお力を拝借させて頂けましたら幸いです。

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エッチさせろ!!

DATA: 2007年3月17日土曜日

長期間のセックスレスで、
性欲減退しているわたくし。

しかし!!
なぜか今日の昼過ぎ、
エッチしたいと突然欲情。
「ニャ〜ン♪」とか1人でさかり声を上げ、
ベットを転げ回っておったのだが、
おもむろに起きあがって、
仕事中のダーリンにメール。
<ダーリン、なんかエッチしたいのぉ〜!!>

1時間後に返ってきたメールには、
<今日のところご遠慮します>

今日のところって今度はあるのか!?
あぁ、悲しきセックスレス。
このままじゃマンコ閉じそうです。
というかすでに閉じてるかも知れません。
33歳の処女。
それってちょっと悲しすぎる。

ねぇ、ダーリン?
頼むからエッチさせろや!!

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父親ムシされレズオフ会へ

DATA: 2007年3月16日金曜日

父親から電話がかかってくるといったままきません。
こっちから携帯にもお店にも何度電話かけても、
コール音が鳴るばかりです。
愛されてないってことやね、
悲しいっすわぁ……。

気を取り直してレズオフ会に行ってきます!!
徹夜なので眠いのらぁ〜。

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父親への手紙

DATA: 2007年3月16日金曜日

父親はとても女好きで、
物心ついた時から家にはいなかった。
お母さんの話によると離婚したのは私が2歳の時。
当然父親だと認識できるハズもなく、
タマにおもちゃを買ってくる優しいおじさんだと思っていた。
この世に存在するのは”母親”だけで、
”父親”という存在があることさえ知らなかった。

女と逃避行した父親は、
当然家に養育費を入れることもなく、
私と兄を育てることに必死な母親は、
いつもパート三昧と内職で疲れきっていて、
まともな家庭の会話をもったことがなかった。
母親の笑顔が思い出せない。
私は母親に自分を見て欲しいと必死で、
テストで100点を取るとか、
そんなことで必死に母親の気を引いた。
けれど母親の笑顔が思い出せない。

風邪をひいたら体を温める、
そんなことさえ知らずに育った。

私が大人になって、
父親が私に会いたいと言ってきた。
父親は私と血縁関係にある、
年齢も2つしか違わない女の人と再婚していた。
義理の母親、
義理の弟、
2人になんの罪もなく、
私はむしろ好感を抱いている。

「もう忘れなさい」おかんが言う。
けれど母親の並々ならぬ苦労、
分裂病になって失踪した兄。
会話のない家庭。
その他言い出したらきりがなくて、
いまだ父親を許せない自分がいる。

私に会いたいと招かれた父親の家は、
夜景の美しい高層マンションで、
高そうな車に乗っていた。

狭い団地住まいの私達家族、
給食費さえ払えない時もあった。
なぜ私達はこんなみじめな思いをしないといけないのだろう?

私に会いたいと言った時、
父親は「容子のためなら何でもしてやれる」と言った。
なら、何でもしてもらおうじゃないか。
私達の歪んだ家庭を帰して欲しい、
父親の幸福のすべてを奪い取ってやりたいと思う。
母親が兄が私が悲しんだぶんと同じ、
悲しみと苦労を背負ってほしいと思う。

こんなことは性分ではないのでが、
最後に私への愛情を確かめるために、
入院費を貸して欲しいと父親に告げた。
出してくださいとは言わないけれど。

「容子のためなら何でもしてやれる」のなら、
リタリン中毒で隔離病棟に入る娘に、
入院費用ぐらい出せるはずだ。
料金の問題ではない。
そんなもの消費者金融からいくらでも借りれる。

本当に「容子のためなら何でもしてやれる」のか。
父親は豪勢な暮らしを楽しんでいる道楽者だ。
心から私の体を心配してくれるのなら、
私の体を大切に思っていてくれるのならば、
何としても入院費用を用意してくれるだろう。

これは私の父親に対する愛情確認で、
「心臓に穴が空くかも知れない」と言った私に、
入院費用を用意してくれないのならば、
「容子のためなら何でもしてやれる」は、
その場限りのていのいいウソで、
父親との関係を完全に絶ちたいと思う。

捨てられた。
ボロボロになった。
母親を苦しめた。
兄を苦しめた。
貧困にあえいだ。
家庭環境が崩れた。
病気になった。
悲しかった、
悲しかった、
寂しかった。

ひどく憎みながらも、
「容子のためなら何でもしてやれる」父親を、
どこかで期待しているのだ。

まだどうなるのか分からない。
ただ入院費用を貸してくれたのなら、
私は父親から愛されていたんだと、
いままでの憎しみを忘れることができる気がする。

ダメだった場合は、
私は父親に愛されていなかったんだと、
これからも悲しい思いを抱えていくことだろう。

10:30に連絡すると言った電話がまだ来ない。
徹夜で取材もあってとても眠いが、
もう少し父親からの電話を待とうと思う。

最近暗い話ばっかりでスイマセン、
今度は明るい話にしたいと思います。

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リタ断絶・隔離病棟入ります!!

DATA: 2007年3月15日木曜日

3/13(火)のリタ日記・その後にも書きましたが、
ここで改めてお伝えしておきたいと思います。

タキヘイ恐らく1〜2ヶ月後に、
リタリン断絶治療のため、
隔離病棟に入ります!!
入院期間は多分1ヶ月くらいだと見込んでいます。

日程がハッキリ決まったらまたお知らせしますので、
病院名も公開予定なので面談にでも来てやってください。
入院するその日まで、また今まで通り仲良くして下さい。
退院後も今まで通り仲良くしてやってください!!

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3/13(火)リタ日記・その後

DATA: 2007年3月15日木曜日

今から帰ると電話して家路に着き、
世田谷の我が家に帰ってくると、
彼氏は”まごわやさしい”の食事を作っている最中だった。
なんでここまでしてくれるのか、
彼氏の無償の愛情に涙したくなる。

今日診察で聞いたこと、
料理中の彼氏にすべて話すと、
「入院しよう」とキッパリ言った。

先生の言う通りコントロールはとても難しいし、
病院なら禁断症状もケアしてくれる。
このままダラダラいくより確実だ。
禁断症状はとてもツライものかも知れないけど、
本当にリタリンを止めたいのならば、
専門の病院に入院することが、
一番いい方法で一番の近道だと、
入院しようとキッパリ言った。

仕事は休載させてもらえばいい、
それで仕事がなくなるようであれば、
その程度にしか思われてなかったことだよ。
まずはリタリンの闘病記を書くことに専念して、
その分野で仕事を見付けてもいいじゃん。
そう言われた。

開口一番「入院しよう」とは思わなかったので、
ちょっとビックリしてしまったが、
今までの私やこれからの私を考えた、
最善の結果が「入院しよう」だったんだと思う。

大阪の母親にも電話した。
母親は私がリタリンを吸っている場面を目の当たりにしている。
しかし、隔離病棟という響きに引いてしまうと思ったのだが…。
結果は「それがいい! 入院して治しなさい!」だった。
お母さんは容子が薬を飲んでいるのを見るたび、
心配で心配でたまらなかった。
お母さんは容子のことが一番大切や。
絶対に入院したほうがいい、お母さんは大賛成や。
入院して早く病気を治しなさい。
入院の準備とかもいるだろう、
お母さん東京に行こうか?

母親まで「入院しなさい!」と即答するとは思わなかった。
彼氏といい母親といい私を心配する人達にとって、
入院というのは最も安心できる治療方法なのだろうか?

連載している雑誌の編集長にも電話した。
事の経緯を話すとこれまた同じく「入院した方がいい」だった。
そして始め休載させてもらう話になっていたのだが、
取材を前倒しで進めて連載続行しようという話に治まった。

始めは通院で減薬・断薬するものとばかり思っていたので、
隔離病棟に入院という急展開な話に、
正直戸惑っているし恐怖感もぬぐえないが、
みながそれがいいと後押しするのだ。
みなを安心させるためにも、

瀧本容子、隔離病棟に入ります!!

時期は仕事の兼ね合いと病院の空きもあるので、
いつだとまだハッキリ言えないが、
恐らく1〜2ヶ月後の入院になると思います。
とりあえず来週火曜日に病院に行くので、
それでだいたいの時期を決めてくるつもりです。

よって入院までのリタ診察日記は書こうと思いますが、
本格的なリタリン闘病記は隔離病棟に入ってから。
なので入院中の闘病記をミクシィにUPすることはできず、
入院から完治までの恐らく約1ヶ月間は、
ミクシィも書けずの音沙汰ナシになってしまいますが、
無事病院から戻ってきたらミクシィに登場します。
隔離病棟での入院生活、応援してやってください!!

それでは入院がハッキリ決まったらお知らせします。
病院名も公開しようと思うので、
おヒマがありましたら面会にでも来てやって下さい。

それでは、
瀧本容子・閉鎖病棟入院まであと1〜2ヶ月!!
根性決めて頑張ります!!

入院するまで今まで通り仲良くしてやって下さい。
入院後も今まで通り仲良くしてやってください。

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3/13(火)リタ日記・検診

DATA: 2007年3月15日木曜日

診察室に入る。
「こんにちわー!!」
てっきり白い診察服を着た、
年齢のいったおじいさんドクターをイメージしてたので、
その明るくハリのある声の持ち主が、
40歳前半頃の若さで洒落たワンピースを着た、
女性ドクターだったので驚いた。
こんにちわと挨拶を返す。

「リタリン止めたいんだよね」
友達のような感覚で喋りかけてくるが、
それがまったく嫌みではなくむしろこちらも喋りやすい。
肩の力が少し抜ける。
「ハイ、仕事があるのでできれば減薬していきたいんです」
「減薬ねぇ…、減薬してコントロールしていればここまでいかないのよ、コントロールできないのを依存症って言うの」
コントロールできないのが依存症、なるほどなと思う。
「だから私としては断薬をおすすめします」
「断薬ですか…?」
「閉鎖病棟に入ることをすすめます」
閉鎖病棟!!
この病院の方針が一気断薬とは聞いていたが、
いきなり閉鎖病棟をすすめられるとは思いもしなかった。

「外来だとコントロールできないのよ。同じように外来で来ても、結局は入院する人がほとんどね」
「入院ですか…」
「あのね、リタリンって覚醒剤より止めるのが難しいのよ。覚醒剤より欲求が強いし、離脱症状も強いの」
「覚醒剤を止めるよりも難しいんですか!?」
「そう」
覚醒剤よりも難しいなんて、これも思いもしなかったことで、
途端急激に不安になっていろいろと確認するように訪ねる。
「閉鎖病棟だと一気に断薬ですよね?」
「そう、断薬」
「断薬すると、禁断症状ってどれくらいから出るんですか?」
「早い人だと1日目から出るわね、だいたい2〜3日くらいからかしら」
「どんな症状が出るんですか?」
「暴れる、強い焦燥感、興奮、痙攣、幻聴、幻覚……。人によってこの限りではないけどね」
「入院したとすると、完治までの期間はどれくらいですか?」
「だいたい1ヶ月〜3ヶ月かしら、これも人によるけどね」
早くて1ヶ月か…、やはり仕事のことが気になる。
できれば連載を休載したくないし、
休載となれば打ち切りの可能性だっておおいにある。

「私、フリーライターをしているんです」
「みたいね」
「なんで仕事は続けたいですし、長期の休みは仕事を失うことになるかも知れないので、どうにか自分で減薬か断薬していく方向で考えたいんですが…」
「外来は周りの力が必要よ。自分でコントロールできないんだから、病院に行くことができないよう保険証やお金をすべて誰かに預けるとかね。彼氏がいたわよね?、じゃあ彼氏に預けるとか」
「ハイ……」
「だけど仕事をしたいからって言うけど、断薬じゃなく減薬でも、まず必ず体を動かすことができなくなるわね。それと痙攣。痙攣止めの向精神薬で、寝っぱなしの生活になることは間違いないわね。体はボロボロ、いずれ仕事ができなくなるのは確実ね」
「そうなんですか……」
「自分で断薬して、自宅療養して、体が動かないとか痙攣の症状が出て、それを誰がケアしてくれるの?。彼氏だってずっとあなたの面倒を見れるワケではないでしょ?。そういう意味でも閉鎖病棟がおすすめなのよ、安全だから」
言うことはまったくいちいちその通りだった。
確実にリタリンを断てる。
短期間で完治する。
周囲に迷惑をかけず安全。
激しい禁断症状は避けられないが、
隔離病棟へ入院したほうがいいのだろうかと思えてきた。

「それでも自分で減薬の場合、どれくらいのペースでどれくらい減らしていけばいいんでしょうか?」
「1週間で150錠くらいでしょ、ってことは1日20〜30錠かぁ…。うーん、これって言いきれないのよね。減薬は自分で判断して減らしていくしかないわね」
「ハイ……」
「あとスニッフから飲用に変えること」
「ですよね……」
「それで通院するならば、毎日何錠飲んだか付けて。あ、これは精神薬もね。その付けたものを私に見せるようにして下さい」
「どれくらいのペースで通えばいいんですか?」
「1週間に1回ね」

最後に私は自分がどれくらい重いリタリン依存患者なのか、
それが知りたくて先生に尋ねてみた。
「1日に20〜30錠だから、強めの中毒かしらね。でも1日に50錠とかもいるし大丈夫よ!」
と先生はギャハハと笑った。

約1時間30分にも及んだ長時間診察。
その間、先生は疲れも見せずに真正面から私に立ち向かい。
明るく豪快で納得のいく説明をしてくれ、
こちらからのくだらない質問にも真剣に答えてくれた。

精神科一筋で約10年やってきたという先生。
「先生、ワンピース素敵ですね。精神的にもめちゃくちゃお若い感じですよね。おいくつなんですか?」
と聞いてみると、
「内緒ー。若くないわよ、子供もいるし。あー、子供迎えに行かなくっちゃって、年齢バレるじゃん!!」
とまた豪快にギャハハと笑った先生。
いい病院といい先生に当たったかも知れないなと思った。

ちなみに30分の問診と、
1時間30分の診察で、
診察代は1,890円!!
あまりもの安さに驚いた。

さぁ、一通りの話は聞いた。
自分で断薬するか、
閉鎖病棟に入るか、
帰って彼氏に相談しよう。

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3/13(火)リタ日記・問診

DATA: 2007年3月15日木曜日

昼2時きっかりに目が覚める。
3時間しか寝てないのに、
過眠症の私がこんなスパッと目覚めるのは珍しい。
今日は午後4時から上野にある薬物依存症の病院だ。
そのことがあって気がはっているのだろうか。
家から上野まで1時間かかるので、
早々と身支度を始める。
化粧は今の状態を知ってもらうため止めておくことにした。

なんだ!?
この異常な恐怖感は!?
まだ病院に行ってもないのに、
身支度している途中から異常な恐怖感に襲われ、
手の発汗、足の震え、立つと足がすくむ。
今日の病院は減薬ではなく一気断薬だ。
リタリンを一気に止めなければいけないかも知れない。
そのことがこの恐怖感を生んでいるのだろうか?

「どうしよう…、怖い怖い怖い、足がすくむ……」、
そう震えながら彼氏に告げると、
「今日は話を聞くだけ、大丈夫、話を聞くだけだよ。ただの様子見だから大丈夫。合わなければ病院を変えようね」
と何度も呪文のように勇気づけてくれるが、
一向に震えは止まらない。
「先生の話聞くのが怖い…、怖い怖い怖いよどうしたらいい?。お願い、病院まで付いてきて一緒に話を聞いて」
と震えながら助けを求める私に、
「今日は仕事の用事があって病院まで付いていけないけど、
上野駅まで付いていくから。話を聞くだけだからね大丈夫」
と言ってくれた。
彼氏は仕事の用事で新宿まで行かなければいけない、
それが上野までの往復だ。
彼氏だって仕事をしているのだ滅茶苦茶申し訳なく思うが、
パニック障害で1人で電車に乗るのも難しい私、
多分この状態のまま1人で電車に乗ったら倒れていたと思う。
上野まで付き添ってくれるとの言葉に少し安心した。
安心はすれど恐怖感や震えは治まらない。

電車に乗る。
立っていると多分座り込んでしまうか倒れてしまう。
空席を見付けたのでそこに座るが震えは止まらない。
彼氏は私の気分を紛らわせようと笑いながら冗談を話し、
汗まみれになった私の手をずっと握っていてくれた。

上野駅に着く。
彼氏のおかげが腹をくくったのか震えは止まり、
「話を聞くだけ!」と笑う私に、
「そうそう、今日は話を聞くだけ」と彼氏も笑って、
病院が終わったら電話してね、
帰りの電車では倒れてしまわないように、
先生の話とかをノートに書いて気を紛らわせてと言って、
新宿駅にUターンしていった。
病気を克服するには周囲の手助けが必要だが、
本当に彼氏は面倒がらずに私を手助けしてくれる大切な存在だ。

病院の場所がよく分からないのと結構駅から遠いので、
タクシーをつかまえて病院へ向かう。
10分ほどして病院へ着いた。

4PM、病院に入って保険証を渡し、
不安をおさえようとトイレに入って、
リタリンを2錠スニッフした。
それから喫煙室があったので、
タバコを吸いながら呼ばれるのを待った。
喫煙室は外からよく見えない造りだったので、
ここでももう1錠スニッフした。

「瀧本さーん」と名前を呼ばれる。
慌てながらタバコをもみ消し、
案内された狭い部屋のなかに入った。
事務机のようなテーブル1つとイスが2つ。
取調室みたいな雰囲気だ。
「先生の診察に入る前に、問診させてください」
と同い年くらいのお兄ちゃんから告げられる。
私1人で勝手にカルテに記入するものばかりと思ってたので、
問診されるとは少々ビックリした。
これが薬物依存症病院のやり方なのだろうか。

問診が始まる。
・いつからリタリンを飲んでいるのか
 27歳から
・なぜリタリンを飲むことになったのか
 興味と過眠とAV女優のような仕事へのキックで
・医者のほうから処方されたのか
 自分から欲しいと頼んだ
・なぜリタリンが増えていったのか
 過眠と仕事と焦燥感
・毎日どの程度の量を服用しているか
 ハッキリ分からないが1週間150錠くらい
・飲用かスニッフか
 スニッフ
・掛け持ちしている病院名すべて
 4つ
・リタリンの副作用はどのようなものか
 主に強い焦燥感と喉の渇き
・リタリンを飲まないとどうなるか
 強い焦燥感

・その他精神病にかかっているか
 かかっている 
・それはいつからか
 24歳頃から
・精神病になったきっかけや原因
 過度の仕事による睡眠障害と仕事先での人間関係
・自分から病院へ行ったのかと初めて処方された薬
 食べ物が食べれず毎日点滴を打ちに行ってた内科で睡眠障害
 を訴えたところ、ハルシオンを処方されたのが初め。
 その後、電車で何度も倒れるようになり自分から精神科へ
・現在の診断名
 パニック障害、鬱病、過眠症、人格障害
 症状名としてPTSD、アダルトチルドレン、ボーダー
・飲んでいる薬すべて
 処方されているのは全17種類、実際飲んでいるのは7種類
・副作用は
 眠気、倦怠感
・飲まないとどうなるか
 強い焦燥感&不安感、発汗、痙攣、幻聴など、
 狂いそうになっていっそ狂ってほしいと思う。

・その他非合法ドラックの経験はあるか
 ある
・それはどのようなドラックか
 大麻、マジックマッシュルーム、覚醒剤
・それはいつ頃からか
 20歳頃〜27歳頃だが頻繁ではない
・今も使っているか
 今はまったく使っていない

・家族構成
 母1人、兄1人(ただし高校生時から失踪中)
・家族に問題はあるか
 あり
・家族に精神病患者はいるか
 いない
・現在は1人暮らしか
 彼氏と同棲中

リタリンを始めに家庭環境から精神病から非合法ドラックまで、
ありとあらゆることを質問されて約30分の問診が終わった。
お次は本題の先生による検診だ。

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3/12(月)リタ日記・病院後

DATA: 2007年3月15日木曜日

一緒に住んでる彼氏に、
クリニックでのことをすべて伝えると、
とりあえず明日もう一つの病院に行って考えよう。
”まごわやさしい”の食事療法に関しては、
時間がある限り俺が作るからと言う。
彼氏の優しさに涙。

その後、スーパーに行って食材を購入、
納豆やごぼうやゴマなど体に良さ気な食材を使った、
夜ゴハンを作ってくれた。

料理が結構得意で好きな彼氏は、
(私は全然料理がダメだ)
時々食事を作ってくれるのだが、
”まごわやさしい”の食事療法は、
以外に食材が高くつくとのこと。
我が家の食費は1ヶ月で2万円と決まってる。
やっぱり食事療法は手間&経済的にも厳しいなぁ。
それに魚やしいたけは大嫌いだし……。
しかし、協力してくれる彼氏に感謝だ。

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ちっす! 大阪生まれの東京くされの、四流ライターでっす!! ちょっと、ノイローゼ気味なところと、ブッチャー並の流血ぶりが、ちゃめっけたっぷりと誉められます。SEX ドラック 精神病です☆☆