父親への手紙
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2007年3月16日金曜日
父親はとても女好きで、 物心ついた時から家にはいなかった。 お母さんの話によると離婚したのは私が2歳の時。 当然父親だと認識できるハズもなく、 タマにおもちゃを買ってくる優しいおじさんだと思っていた。 この世に存在するのは”母親”だけで、 ”父親”という存在があることさえ知らなかった。
女と逃避行した父親は、 当然家に養育費を入れることもなく、 私と兄を育てることに必死な母親は、 いつもパート三昧と内職で疲れきっていて、 まともな家庭の会話をもったことがなかった。 母親の笑顔が思い出せない。 私は母親に自分を見て欲しいと必死で、 テストで100点を取るとか、 そんなことで必死に母親の気を引いた。 けれど母親の笑顔が思い出せない。
風邪をひいたら体を温める、 そんなことさえ知らずに育った。
私が大人になって、 父親が私に会いたいと言ってきた。 父親は私と血縁関係にある、 年齢も2つしか違わない女の人と再婚していた。 義理の母親、 義理の弟、 2人になんの罪もなく、 私はむしろ好感を抱いている。
「もう忘れなさい」おかんが言う。 けれど母親の並々ならぬ苦労、 分裂病になって失踪した兄。 会話のない家庭。 その他言い出したらきりがなくて、 いまだ父親を許せない自分がいる。
私に会いたいと招かれた父親の家は、 夜景の美しい高層マンションで、 高そうな車に乗っていた。
狭い団地住まいの私達家族、 給食費さえ払えない時もあった。 なぜ私達はこんなみじめな思いをしないといけないのだろう?
私に会いたいと言った時、 父親は「容子のためなら何でもしてやれる」と言った。 なら、何でもしてもらおうじゃないか。 私達の歪んだ家庭を帰して欲しい、 父親の幸福のすべてを奪い取ってやりたいと思う。 母親が兄が私が悲しんだぶんと同じ、 悲しみと苦労を背負ってほしいと思う。
こんなことは性分ではないのでが、 最後に私への愛情を確かめるために、 入院費を貸して欲しいと父親に告げた。 出してくださいとは言わないけれど。
「容子のためなら何でもしてやれる」のなら、 リタリン中毒で隔離病棟に入る娘に、 入院費用ぐらい出せるはずだ。 料金の問題ではない。 そんなもの消費者金融からいくらでも借りれる。
本当に「容子のためなら何でもしてやれる」のか。 父親は豪勢な暮らしを楽しんでいる道楽者だ。 心から私の体を心配してくれるのなら、 私の体を大切に思っていてくれるのならば、 何としても入院費用を用意してくれるだろう。
これは私の父親に対する愛情確認で、 「心臓に穴が空くかも知れない」と言った私に、 入院費用を用意してくれないのならば、 「容子のためなら何でもしてやれる」は、 その場限りのていのいいウソで、 父親との関係を完全に絶ちたいと思う。
捨てられた。 ボロボロになった。 母親を苦しめた。 兄を苦しめた。 貧困にあえいだ。 家庭環境が崩れた。 病気になった。 悲しかった、 悲しかった、 寂しかった。
ひどく憎みながらも、 「容子のためなら何でもしてやれる」父親を、 どこかで期待しているのだ。
まだどうなるのか分からない。 ただ入院費用を貸してくれたのなら、 私は父親から愛されていたんだと、 いままでの憎しみを忘れることができる気がする。
ダメだった場合は、 私は父親に愛されていなかったんだと、 これからも悲しい思いを抱えていくことだろう。
10:30に連絡すると言った電話がまだ来ない。 徹夜で取材もあってとても眠いが、 もう少し父親からの電話を待とうと思う。
最近暗い話ばっかりでスイマセン、 今度は明るい話にしたいと思います。
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