上京物語2
DATA:
2007年1月13日土曜日
どうしようもなく弱くて人間が怖くて情けない自分。 自分を変えるキックが欲しくて、 左腕に入れ墨を入れた。 多分24歳の頃だった。
左腕に入った波形の入れ墨。 それでも自分は変わらなかった。 少しもキックになりはしなかった。
精神薬に頼って、 精神薬だけを頼りに生き延びてる自分。 強い自分になりたい、 もっと大きなキックが欲しい。 そう思った27歳頃の時、 東京に出る決意をした。 そう決めた翌日東京に物件を探しに行き、 1週間後に上京することに決めた。
突然のことだ。 予定外のことで貯金は5万円しかなかった。 でもそう思ったら最後、 東京に行こうとする自分を止められなかった。 片親なのにお金を無心することはできない。 家財道具を運ぶ運賃と、 通販で家財道具を揃えるのに対して差はなかった。 消費者金融でお金を借りた。 そこまでしても何が何でも東京に行きたかった。 自分を変えたかった。
急に決めたことだ。 事後承諾。 数日後に東京へ行くと母親に告げた。 失敗してもいい、 今行かなければあの時東京に行ってたならと、 一生文句を言って生きていってしまうと母親に告げた。 母親はしばしの沈黙のあと、 お前は言い出したら聞かない、 東京で頑張ってきなさい、 けれどお前の帰ってくる部屋はいつも用意しておくと言った。
東京に行く日。 来なくいいと何回も言ったけど母親は付いてきた。 ボストンバックいっぱいの荷物を自転車にのせて、 母親と一緒にバス停へ辿り着いた。
出発を待ち備えたバスの一番後部座席に乗り込む。 母親から自転車に積んだバックを渡される。 しばしの沈黙の後、 「こんな細くて小さな子が、 どうやって東京で生きていくんやろうか?」と呟いて、 母親は顔をクシャクシャにして大粒の涙をこぼした。 母親はとても気丈だ。 後にも先にも涙を見せたことはなかった。
おかんを見てはいけない。 もしも見たなら私は確実に泣いてしまう。
ブー。 バスの扉が閉まる音が鳴る。 こらえきれずに後ろを振り返った。 自転車のハンドルを持って棒立ちで、 涙をボロボロこぼしながら、 いつまでもバスを見送っているおかん。
バスがゆっくりと発車する、 おかんがどんどん小さくなっていく。 お母さんごめんなさい、 こらえきれず涙をこぼした。
母1人と私1人。 世界でたった2人だけの家族。 兄は私が高校生の時に失踪した。 父親は私が2歳の時からいない。 私と一緒でガリガリに痩せた小さなおかん。 世界で2人っきりの家族。 そんな母親を捨てて私は東京へ旅立った。
自分1人のことなら涙もでない。 むしろスッキリとしているだろう。 だけどガリガリに痩せた小さな母親を、 1人だけ大阪へ残して行くのは、 相当大きな覚悟と決断がいった。 それでも私は東京へと旅立った。 自分のためだけに母親を捨てた。
父親は昔から道楽者だった。 養育費なんてものは一切ない。 細腕一つで2人の子供を育てたおかん。 パート2つに家では内職。 思い出すのは疲れきった横顔と深い溜息。 家族の会話はまったくなかったし、 笑顔を見せることもほとんどなかった。 家族と呼べるのか微妙だったけど、 それでも2人きりで生きていっていた。 けれど私は自分のためだけに、 たった一人の家族を捨てて、 東京へと旅だった。
私と一緒でガリガリに痩せこけたおかん、 そんなおかんを大阪に残して上京を決めた。 おかんをひとりぼっちにして東京へ消えた。
上京してから約5年。 おかんから電話が来る、 私もおかんに電話する。 ゴハンはちゃんと食べているのか? 風邪はひいていないか? お母さんまた太ってもうたで。 おかんが電話越しにケラケラ笑う。 大阪時代は本当に会話がなかった。 でも今は素直に喋れる笑える。 やせっぽちのおかんが太った、 それだけで嬉しくて安心する。
離れてみて初めて分かった、 おかんとの強い絆と深い愛情。 32歳になって初めて気付いた。 一度離れて初めて分かった気がする。 本当の家族になれた気がする。
おかんもそろそろ年金生活だ。 お金の心配はしなくていい、 全部面倒見るから東京にこないかと私が言った。 大阪から離れたくないとおかんが言った。 私の自分勝手で離れた大阪。 けれどせめて最後だけはみとりたい。
大阪に帰るしかないのか。 けれどまだ私には夢がある。 まだスタート地点から少し進んだくらい。 ゴールにはまだまだほど遠い。
忘れられない切ない言葉と光景。 「こんな小さな子が東京でどうやって生きていくんやろうか?」 けれど東京に来て良かったと思う。 だって私とおかんはまだ生きているし、 電話でケラケラと笑いあえる家族になったから。
時々おかんに電話をかける。 おかんも時々電話をかけてくる。 ゴハンはちゃんと食べてるのか? 風邪はひいていないか? いつも同じことを繰り返すおかん。 大丈夫やってと笑う私。
東京と大阪。 離れてみて初めて分かった、 おかんからの深い愛情と家族の絆。
もっともっと人生の速度をあげなければいけない。 大阪でも通用する人間にならなくてはいけない。 だからひたすらダッシュする。 そして夢に近づいた時、 大阪に帰っておかんの面倒をみたいと思う。
もっともっと人生のスピードをあげなければ。 「こんな小さな子がどうやって東京で生きていくんやろうか?」 けれど夢はきっと叶う気がする。 夢を叶えるのに必要なのは持久力だ。
おかんと私の上京物語。 もっともっと強くなって有名になって、 私を育ててくれたおかんを幸せにしたい。
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