誰にも犯サレナイんですの。
DATA:
2012年3月18日日曜日
依存とか在るとか死ぬとかエロとかですの。
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閉経から人生は始まるんですの。
http://utsuban.com/?page=blog
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↑この頃から、ずっと自分のなかでくすぶっていたものが、
少しずつ、溶けていくのが、自分自身で、感じられるようになったんですけれど。
また、さらに、ちょっと、一歩前進したって言うか。
わたし、3月の2週目だったかな。
に、色んなことを考えたり自問自答していて。
とことん っちゅう自問自答を繰り返して。
ホント久しぶりでした。
いつも考えるとテンションおかしくなりがちだから、
あえて、避けていたことがほとんどで。
だいたい、堕ちる方向に行ってしまって、
そういう時は、自分が生きてるかどうかも分からなくなってくる。
現実と夢(て言うのかな…)の境界線があやふやになってしまって、
少し後遺症が残っているので、フラッシュバックすることも原因なのかも知れないけれど、
もー、なんか、何とも言えない、ヘンなテンションになってしまって。
生きてるのか死んでるのか分かんないから、
リスカ&アムカで、血が出た生きてるて安心したり。
生死の確認をするため、
どちらかというと、前向きサク切りなので、
自殺とかそんなんではまったくないです。
死にたいとかそんなんでもまったくないです。
なので、傷も浅い。
いさぎ悪いみたいな感じで、カッコ悪いんですけどね。
んでもって、達した結論は、わたしは自分に物凄く自信がないから、
他者からの評価でしか、自分を確認できなんだろうなということでした。
それとどう向き合うことにしたとか、詳しくは、以下に書いていきます。
うあ、前置き長っ。
えと、本題に移るのです。
移っちゃいマスの。
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それを、はじめて感じたのを、ハッキリと覚えています。
朝、パンを買いに行った日です。
ここらへんの時系列、精神病者にとっては、
物凄いあやふやになりがちなのが普通だと思うんですが、
ハッキリと覚えています。
覚えているということ。
それは、自分でも始めてでした。
3/16が精神科日でした。
その時の覚えている範囲での会話などなどです。
今までのそもさんせっぱとは、全然違うものになったと思います。
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薬物依存に特化した、現在の精神科に通ってから4年。
精神科にかかるようになってから計14年。
揺るやかな上昇カーブは描いていると思うんですが、
それは「前よりこうなったよねえ、良くなっているんだなあ」で、
それの始まりを、ハッキリと、感じたのは、繰り返しますが始めてです。
パンを買ったその日の朝、
わたしは、何時だったかなあ…。
朝6〜8時の間には起きたと思います。
わたしは、びょーき発症からその前日まで、
朝起きた時が一番憂鬱であることがほぼで、
リタリンにハマッていた時は、
寝起きすぐスニッフできるよう、
砕いたソレを、枕元に置いておく習慣が身に付いていて。
リタリンがなくなってからは、色んなものです。
ロヒプノールやらミントの結晶砕いたヤツやら、
何でもかんでも試していました。
だって、キックがないと、起きれないんですもん。
目は覚めても、行動にうつせないんです。
ベットから起き上がることもできない。
罪悪感だけはあるから、「どーしよー!」「あーーーっ!」って、あうあうしながら、
ずーーーーーっと、ベットのなかでウジウジウジ。
行動できないしするのが苦痛だし、
まあ、現実逃避っていうヤツでしょうか。
それを越えるためのキックが一発欲しいんです。
けれども、その日は、違った。
なんというか、ものすごく清々しかった。
ウーンと背を伸ばし、カーテンを開け、
「うわあ、イイ天気だあ、気持ちイイ!」とまで感じた。
相方さんがたまに買って来てくれる、
ちょとお高いけどウマウマなのよね。
それ的な山形パンを、物凄く食べたくなった。
朝ゴハンを食べるという行為自体もしたくなった。
外に出た。
空気が冷たくて、凛として、景色の輪郭がハッキリと見えた。
例えれば、雨があがったあとの風景みたいな感じかなあ。
いつもは、まず、一人で外へ出ることが困難です。
歩いて30秒で着くジュースの自動販売機にすら、行けないことも多い。
通院の時は、お風呂入ってお化粧して服を着てカバンを持って、1階に降りる。
そこまでは、なんとかできるんです。
けれど、ドアノブをまわせない、ドアを開けられない。
アーーーーーッてなっちゃうんです。
テンパッて、座りこんで、おいおい泣いたり。
外界への一歩が踏み出せないんです。
怖い。
物凄く怖い。
理由なんてない。
漠然と、ただ、怖い。
ヒザが笑うんです。
なので、病院は完全予約制、でもって身支度はできているのにキャンセルばかりで。
すると、そのことによって、次回、診察へ行くのが、凄く怖くなってくる。
また、キャンセルしてしまった。
無理矢理、他の日に予約をねじ込んでもらったり。
きっと、みんな、迷惑している。
なんぼ何でも、飛ばした次の診察には行かなくてはいけないし、
というか、「薬がなくなる」というハッキリとした現実問題が絡むし、
眠剤をたくさん飲んで、メガネマスクイヤホン帽子で向かう。
病院に着く。
看護士さんと目を合わすこと、話すことが凄く怖い。
だって、わたしのこと大嫌いなハズだもの。
迷惑な患者だなあって、鬱陶しく思っているハズだもの。
「今日は来れたねーーー」
そんな、優しい言葉に対しても、
嫌みなんだよね嫌いだよねごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい
ごめんなさいお願いだから嫌いにならないでください
話しかけられることが怖いし、
他の患者さんからも話しかけられることが怖いので、
イヤホンで音楽を聞いているフリをし、
喫煙室の端っこを陣取る。
もちろん、イヤホンから音楽は流れてこない。
要するに、話しかけられないようにするための小道具です。
いっつもこのパターンだ。
いっつも、いっつも、いっつも。
過呼吸は慣れたもんで、自分でも大丈夫だって分かってるから対処できるけど、
一度、病院からの帰り道で、過呼吸プラス、めまい動悸とか”救心”的な症状。
あと、痛覚とかがなくなってしまって、歩けなくなってしまった。
足ガンガン叩いても、正座して痺れた時みたく感覚がないし、
過呼吸の息苦しさも手伝って、シャッターの閉まった工場んとこで横になってたら通報された。
それがあってから、相方がわたしの病院に休みを合わせ、
もしくは、わたしを病院に送ってから仕事に向かう。
という風にしてくれ、申し訳ないと同時に、助かるのも確かで。
うあーーーーーーー、
また、逸れた、いらん内容が長くなったスマン!
えと、そういう風にしてくれていたのだけど、
その日は、相方さんの仕事の都合がつかず、
歩けません事件以来、始めて、自分一人で電車に乗って、病院へ向かった。
完全武装はしていたけれど、
全然大丈夫だった。
嬉しかった。
ほんで、診察が始まった。
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「最近どう?」
わたしの主治医は、わたしが精神科をドクターショッピングしまくり、
その果てにやっと会えた、”薬屋さん”でない、心許せる精神科医だ。
男でなく、女性だというのも物凄く安心できた理由の一つ。
最近、最近、最近…、
先生、わたし、少し前、朝、パンを買いに行ったんです。
コンビニじゃなくて、ちゃんとしたパン屋さんです。
ちょっと、贅沢して、バターなんかも買っちゃいました。
それで、んで、んで、あまりにもパンが美味しくて、
物凄く美味しくて、そんで、んで、んで……
言葉の続きが出ないし、涙も出てくる。
悲しくて泣いたのではない。
何でだか、自分でもよく分からん。
ただ、わたしは今まで、そういう行為をするのが、酷く難しかったのだ。
それをするには、薬の力が必要だった。
けれど、その日、わたしは普通に、なんの苦痛もなく、むしろ清々しく、
家へ帰ってきてから、ココ一番用に置いておいた、お値段は張るがスゴく旨いコーヒーも煎れて、
そして、「あー、美味しいー。どうしよ、スゴく美味しいーーー、たまらんーーーーー」
これまた何でだか分からんが、モグモグウマウマしながら、ボロボロ泣いてしもうた。
きっと、物凄く嬉しかったのだと思う。
普通であることを、
普通にできたこと。
わたしは、それが、飛んでもなく嬉しかったのだと思う。
美味しかったし!
でもって、わたしは言葉をつけたした。
それから今日まで、ずっと朝起きれているんです。
朝が一番苦痛だったのに、朝が一番鬱気味だったのに、
朝起きて、コーヒー煎れて、洗濯とかしてるんです。
すっごく気持ちがよくて、そんで、そんで、んで…
物凄く大きな第一歩だと思う。
先生も、「スゴいじゃないっ、瀧本さん、スゴい!」
一緒になって喜んでくれるもんだから、
やっぱり凄く大きな前進なんだあって、
「そうなんです、めっちゃ嬉しいッスー!」って笑いながらまた泣いた。
まだ、その日から現在まで、朝起きることができている。
わたしは、このような毎日を送れていること。
それが、たまらなくウレシイ。
多分、今、わたしは世界で一番ハッピーだ。
なんつて!
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わたし、3月の2週目だったかな。
に、色んなことを考えたり自問自答していて。
とことん っちゅう自問自答を繰り返して。
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↑えと、冒頭に書いていた、これについてなんですが、
わたしは、わたしの今までの人生や対人間関係での
自分の在り方を、じっくり考えてみたんです。
わたしが”在る”ということの自己認識、
それは、他者の目、他者の評価からしか、見いだすことができなかった。
自分の取り柄とは、SEXできる穴があること。
それぐらいの価値しかないと思っていたし、
だから、他者とSEXする仕事をできたのだろうし、
私生活においても、そうだった。
だって、穴しか、価値がないんだもん。
だから、SEXするんです。
すると、自分の”在る”を確認できるんです。
わたしは生きていてもイイのかなって思うんです。
それに、単なる「穴のある物体」。
そうなれるのって、けっこうかなりラクチンで、わたし的にはホッとしたりもする。
ビクビクしてんの。
嫌われたくないって、常に、顔色を伺うの。
穴なのに、一丁前に、人に好かれたいんです。
だから、自分を大切にしろとか言われようもんなら、
何言ってんの、「俺、キマッタ!』とか今思ってんのねえねえねえ?
何そのアドバイス、余計なお世話すぎて、腹が立つわ。
今までわたしはそうやって生きてきたから、
それしか知らないし分かんないしできない。
あんたの言う、そこら辺にウヨウヨうごめいてる綺麗事、全く説得力ないのよ。
あんたの言うような自分でいたら、わたしは、わたしの存在を確認できないのよ。
それのほうがよっぽど苦しくて寂しくててたまらないのよ死にたくなるの。
使い古されたチンケな綺麗事言ってんじゃねえよそのくだらないお喋りをやめないと殺したくなるよお前を。
精神病者には、SEX依存症の女性がとても多いと聞いた。
先生が言うには、「SEXっていうのは、ある意味、女性が、主導権を握る事が出来る行為なのね」
あーー、そう言われたらそうかもなあ。
んだらば、わたし、男に勝ちたかったり怖かったりなのかなあ。
自分でも自分のことがよく分からないけれど。
うーんと考えてみたら、そういうSEXをした後に必ず残るのは、
好き好き好きになっちゃったとか温かいとか一つになれたとか、
そんなステキなもんではなく、圧倒的な”虚無感”だ。
それって、本当は、SEXが嫌いとまではいかなくても、
好きではないという事なのかなあ。
先生に聞いた。
「私はそうだと思う。怖いんじゃないかな、男性が。だから、上に立つことで、安心するんだと思うのね。瀧本さんは、特に、お父さんのことがあるじゃない?」
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ココからは、まあ積極的に話したくないことなので、
えらいこと端的に書きますが。
えと、まー、その、わたしの病気の根本的な原因。
それは、”虐待”らしいです。
細かい病名を上げるの面倒なので省きますが、
その主たるもの、病をまとめて表す診断名は、
”複雑性PTSD”らしい。
昔ほど、自分の精神的な苦痛とか不幸に興味がなくなっているので、
それがどういうものなのか調べておらず、正直、よく分かってないんだけどね。
んで、わたしのそのPTSDを形成しているものの核が、
外傷的虐待、心理的暴力、性的虐待、の三本柱であるらしい。
これまた、わたしにはそれが原因なのか、正直、よく分かんないけど。
けれど、わたしは、大きな声の人や、怒鳴る人や、威圧感のある人や、権力や、
そういうものがとてつもなく恐ろしい。
わたしが怒られているではなく、
誰か他の人が怒られ、怒鳴られているのを見るだけでも、
特に悲しい怖いワケでもないのに、震えて涙が出ていることがよくあった。
それも、PTSDからの、反射的な反応って言ってはったのかな。
んーと、特に、性的虐待部分への恐怖心から逃れられず、
男性に恐怖心を感じるから、上へ立って自分を守ろうとするし、あるいは依存するって。
じゃあね、犯サレナイ女になろう、と思ったのです。
わたし、怖いから、男の人(女性でも威圧的な人)に準ずるなら、
わたしが、犯サレナイ女になったらイイんじゃないかと。
チビッ子の頃の性的虐待は、
それって不可抗力じゃないですか。
どうすることもできない。
でもね、今はわたし、どうにかする事ができるやんって。
拒否もできるし、抗えるし、自分の身を守る手段だってある。
だからね、話しが思い切り、そして突飛するのですが、
以前、精神面を鍛えたくて、数回だけ通った総合格闘技(空手道禅道会)、
を、再開しようと思っています、ちゃんと本気で通おうと思います。
そこ、師範が女性だってのも、スゴく安心できるんです。
不可抗力という点のみで言えば、
現在もわたしは、男の人の”力”にはかなわないと思う。
だからね、自分の身を自分で守れる。
それくらいの”力”っていうか、”技”なのかな。
それを身につけたら、何となく、何となくだけど、自信を持てるようになる気がするんです。
もう、依存したり、怯えたり、支配されずにすむんじゃないかなあって。
それが=格闘技でツヨクなる、ってのは安直かも知れないけれど、
わたしがわたしなりの自信をつけられたら、それでイイんです。
プラシーボ的なものもあると思うけど、
自分がそう思えるようになったら、
それは、だいぶん、かなり違うと思うんです。
わたしは子供じゃない。
不可抗力ではない。
自分で自分を守る術を身につけることができる。
同時に、きっと、強い精神も身につけられるような気がする。
わたしは、誰にも犯サレナイ女になるのです。
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そういう感じのことを主治医と話した。
んでもって、自分でも、ビックリしたのだけれど、
なんか、話しの流れに添って、自分のなかに新しく産まれた感情があって、それを、先生に話した。
ごっついドモりながらだけど。
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今まで、わたし、他人の評価のみでしか、
自分の”在る”を確認することができなかったんです。
他人によって生かされてきたのかも知れないです。
だけど、何か、わたし、今度は、自分のために生きてみたい。
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38歳にして、初めて、そういう感情を持ちました。
今も、威圧感のある人とか恐ろしいし、
んでも、それは少しずつ克服していけるものだと思う。
だから、男っぽくない男が好きなのかなあ。
相方さんは、ヒドく理性的な人で、わたしはそういう人が好きなんだろう。
穏やかで、男性を前面に感じさせない人。
でも、まあ、ちょっとずつ克服していきますよ。
ハイキック、キメたりますわ!
オイ!
男全員ではない。
腕力や威圧感で人を圧する男は覚えとけ!
わたしが強くなったなら、
お前のチンコは武器じゃなく、
弱点急所になり変わるんだよ!
チクショー
チクショー
チクショー
やはり、父親が憎くなるけれど、
これも強くなったら、許さないけど「もー、いいや」って思うようになるのだろうか。
わたしは誰にも犯サレナイ女になりますよ!
ものすげえ長文、メンゴ♡
ではね、チャオ〜☆☆☆
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