中途半端モノですの。
DATA:
2018年2月20日火曜日
前進したり
後退したり
前進したり
後退したり、ですの。
今は、少し、後退気味かも知れないです。
顔を、血が出るまで、血が出ても、掻きむしるクセがある。
これ、精神病院に入院する前とまったく同じ症状で、
よう分からんがいわゆる自傷らしいです。
ので、せめてまたリスカアムカせんように、
刃物類はポーイしました。
いや、本当にやろうと思えばいくらでもやれるのだけど、
ああいうのは衝動の部分が大きいので、
ヤりたい時、切りたい時、その場にモノがなければ、けっこー、それだけで防げるモンです。
ここで一つマメ知識。
刃物がないから缶ジュースのプルトップで切ろうとしたことがあるけれど、
あれ、今はもう切れない仕様になってましたぜ。
同じことする輩がたくさんいるということですな。
オツだな、オツ。
だけど、
痛覚も薄いし、
酸素も薄いし、
自分の存在はもっと薄いし。
何やってるんすかね。
40歳を目前にして、
何やってるんだかわたしは。
壊れるならもう、とっとと壊れてしまえばイイのに、
そこに、中途半端な、感傷、が、ある。
何をまだ、中途半端な感傷に浸れる余裕を持っとんねん。
って、情けないというか何と言うか、
どこまでいっても自分は偽物だなあ、
ニセモノにしかなれんなあて、
情けないすぎてハハハと笑えたりします。
んー、何だろう。
ああいう感じに似ています。
どこに居ても感じる自分は独りだという圧倒的な孤独感てか、
ウーんと、違うなあ。
物語のヒロインには決してなれない、みたいな感じだろうか。
それになれる人は当然、本物なんです。
けれど、わたしは、本物だと見せかけて、全てがハリボテなんですよ。
どこまでいってもわたしはフェイクなんであって、
そして、自分でもそれに気付いてるんです。
気付かなければまだイイんです。
それに気付かない『鈍感力』みたいなものって、
わたしはそれを、恥ずかしいだとか全く思いませんよ。
それは、愛おしい、愛すべき部類に入るモノだと思います。
『鈍感力』っていうのも才能なんですよ。
それは嘲笑されるものではなく、
たぐいまれない、立派な『才能』ですよ、本当に。
それを馬鹿にして影でコソコソ笑ってる人たちのほうが、よっぽど滑稽ですね。
人”たち”です、だいたいが。
一人になる覚悟がない。
だから、狭い者村のなかだけで、キャピキャピ生きてる。
実家に戻った兄貴は、
ちょっとけっこー、落ち着いてるみたいです。
いや、あれは落ち着いたのだろうか。
わたしはあまりそうとは思えない。
今の兄貴の行動は、
単なる今までの負い目から、
なのではないかと思います。
真面目っ子がキレたら一番危ないですからね。
わたしは、家族から透明人間として扱われていたけれど、
兄貴もある意味、可哀想だったと思います
重圧が苦しかったんだろうなあ。
いや、ただそこに居るだけで、叩かれて殴られて煮えたぎった味噌汁をぶっかけられて、
一瞬にして水膨れになって、
また洋服をダメにしたと怒られ叩かれ素っ裸にされて、
玄関と駐車スペースのコンクリにガリガリ背中を引きずられ、
霜のおりる真冬の外界に放り出される。
そいか、ライターか煙草かロウソクの火で肌を焼かれる。
たくさんのスリ傷に血がにじんでいる。
血は少しずつかたまっていく。
わたしはかたまってきたソレを、
チビリチビリと剥いでまた血を滲ませ、
かたまってきたらまたソレを剥ぐことを繰り返す。
だって、血は、温かいから安心する。
かさぶたを剥がす痛みもしかり。
あれはなんて言う歌だったっけ。
『雨雨ふれふれ母さんが、じゃのめでおつかい嬉しいな、ピッチピッチチャップチャップランランラン♪』
なんかそんな感じの歌、音楽で習った歌。
わたしはこの歌が大好きで、
家から放りだされた時は、いつもこの歌を唄いながら、傷を剥がした。
傷や血は、わたしを安心させる術の一つだった。
だから、わたしは、わたしがわたし自身を傷つけるための行為を、
『自傷』だとかあんま思わない。
「自傷です」と診断されたら、ハァそうなんですかあと思うだけで。
そんな大層な意味を含んだ行為だと思わないもの。
傷なんか、ほおっておけばいつかは消える。
それは、わたしが、わたしであるための、単なる処世術にしか過ぎない。
傷なんか、しょせんただの傷だ。
そこに、理由をつける必要なんかない。
それくらい、しょーもないもんだ。
だから、言ってやんな、この世のリストカッターさんにリストカッターくん。
何でそんなことするのとか自分を大切にとかウンコみたいな偽善を投げかけられたら言ってやればイイ。
失礼ナ!
コレは、手首のお洒落です!!!
|