おしごとですの。
DATA:
2013年1月22日火曜日
わたしの職業は編集&ライターで、
でもって会社員でなくフリーの編集&ライターで、
それは、わたしが社会不適合者であったための結末である。
普通に社会に適合できるなら、
出版社勤めとか会社員になってると思います。
高卒のわたしには分不相応な、正社員雇用のお話もいくつか頂いたけれど、
いかんせん社会生活不適合者のため、
「ヨロシコ!」なんて軽はずみに言えません。
なんかやってしもて、紹介後押ししてくれた人の顔に泥を塗る、
それだけはなんぼ常識ナシなわたしでもやってはいけないことだと分かる。
そりゃ揺れましたよ。
その都度、揺れまくりました。
「角川に勤めてます!」
「リクルートに勤めてます!」
片親であるウチとしては特に、
大会社の正社員であることは親が最も安心なことだろうし、
大会社勤めってなんかイェーイて感じがあるしね。
だけどな、
「スマセン、電車で過呼吸起こして、どなたか引受人で駅まできてもらえませんか?」
「スマセン、外出るの怖くて、今日は会社行けないかも知れないです」
そんなことできるかっちゅーの通るかっちゅーのだっちゅーの。
結果的に、全部、自分で責任を負うフリー(自営業)にしかなれないんです。
ほかの職業につけばともよく言われた。
もちろん、副業としてヤる分にはよろしいでおますなと思うし、
職業に優劣つけるほうではないから、何でもやると思います。
時間を金に換算するのよと納得すれば、たいがいのことはできるでしょう。
だけど、やはり、どうしても、『ライター』という仕事からは離れられない。
どうしてもできない。
何でだかわかんないけど。
もう、ライターという職業が好きなのかも分かんなくなってるし、
プレッシャーで精神病的にもよくないのは分かっているし、
それでもどしてもやめられない。
収入少なくてもやめられない。
20歳から38歳の今までライターで喰ってきた。
そういう意地もあるかも知れないし、
しょーもないプライドがあるのかも知れないし。
分かんない。
理由なんて分かんないし、
逆に聞くけど必要あるけ?
東京に来るまでは、まずまず食えてた。
年収300万ちょっとくらいな些細な稼ぎだけど、
全然食えてた、今よか全然稼いでる。
地元だけにありがたいツテもたくさんあった。
けど、満足できんかった。
大阪には、全然出版社がない。
あっても、大阪支社だ。
結果、「物書き」ではなく「ライター」である以上、
いただけるお仕事は限られてくる。
新しい 街、人、流行、旅行、グルメ、モノetc…。
いわゆる一般情報誌で、
その他はエステやなんだかんだ女性向けの広告系で。
それで得た知識も人脈もたくさんあるし、
とてもよかったありがたいと思ったし今も思ってる。
一般情報誌なので、世間一般でいうイベントや祝日というものは一切なかった。
イベントはすべて、来年掲載用の撮影、そのディレクションになる。
お盆や正月なんて憎たらしかった。
印刷所が休むから、前倒しで物凄いスケジュールになるだけだ。
世間一般でいう、20代の「青春」的なものは一切楽しめなかったと思う。
それが普通のことになっていたからまあいいかと思っていたしいるし、
けれど、みんないいなーとちょっと羨ましく思ったことがあるのは確かだ。
わたしにも、専門的な知識があれば、また状況は大きく変わっていたと思う。
けれど、わたしには、そんなものがなかった。
「ちょっと、その辺には詳しくてよ♡」
それ程度の知識なんてウンコである。
ある分野においての、深い深い専門知識がないと、名前で仕事とるなんて絶対ムリだ。
毎年、毎月、毎週、同じことの最新情報を、
ルーチンワークでこなしていく。
おまんま食わせてもらってクソ生意気だが、
それがしんどくなってしまったのだ。
要するに、飽きてしまったのだ。
みなさん、編集とかライターって、キラキラ職業だと思っているけれど、
編集、ライター、デザイナー、ここいらの職業は恐ろしくやること地味ですよ。
そして、編集者なのに「街に出れない」。
そういうことが多発する。
会議に打ち合わせに企画に進行に、
街に出る時間がなかなかつくれないのだ。
電話対応や打ち合わせに追われるため、
自分の仕事はどうしても夕方からになってしまうし、
よって、編集者でありながら、一般人よりも知識が疎いところがたくさんあると思う。
残業したり徹夜連泊が続くほど「仕事してる」と思われる。
そういう風潮がアリアリなのもしんどかった。
ーーーこのまままじゃこのままで何にもならないーーー
27歳、遅すぎる東京進出を決めた。
大阪時代のウリは「フットワークの軽さ」と「土壇場の底力」であった。
いえ、後期はフットワークめちゃめちゃ悪かったですけれど。
夜中にしか現れないので「ぬえ」って呼ばれましたけどね。
しかし、東京では、今持っている情報は全く役に立たない。
今まで培ってきたものがすべてゼロになる、
いわばマイナスかも知れないスタートである。
どうする、東京では何をウリにすればイイのか。
自分で、少しは「知っているよ♡」といえる対象(興味趣味趣向)は、
アングラ、サブカル的なものばかりで。
が、サブカル誌を見て「ヘーーッ」と情報を得ていたのだから、
知識が薄いにもほどがある。
その道でいくには、
情報を「受けとる」側ではなく、
情報を「発信」する側でなくてはならないのだ。
より詳しく、より新しく、より全体像を深く知らなければならない。
いくつ出版社や編集プロダクションへ、営業をかけたか覚えていない。
手ぶらでいくワケにはいけないから、企画書をお土産に持参する。
しかし、それは、しょせん、本やネットから受けた二番煎じ。
または、二番煎じの情報をマイナーチェンジしたもの。
もしくは、すでに出ているか、ボツになっている企画。
わたし如きが思い浮かべた企画など、
そんなもん、とーーーっっくの昔に、編集部内で出し尽くされているんだと思う。
唯一、需要があったのが「エロ」だ。
それだし求められたもあるし、
だからわたしは「エロ」から東京の出版界に潜り込んだ。
けれど、単なる「エロ」なんかこれまた腐るほどある。
だからわたしは、「エロ」に「リアル」を付加価値としてつけた。
その頃に名乗っていた肩書きは「実践系エロライター」である。
実践系。
全部、実際、自分が体験したものしか載せない。
どんなに上手にフェイクしても、分かるもんは分かる。
だから、何だろうが全部実践した。
知識なけりゃ、カラダで体得すればイイ。
当然、違法なこともでてくるし、危険だと感じたこともあるし、でもやった。
「死んだら、まー、好きなことやってんからしゃあないわな。
やらんかってブツブツ言うてるよりは、自分的にも満足納得だわな。
だけど、お願い、痛くないように殺して頂ければ幸いです」。
元々、危険な橋を渡るほどに興奮する気質であったからか、
そこら辺は、まあ突破できた。
歌舞伎町探って殺されてたライターさんがいたけど、
本当に、危ない橋渡ったり知りすぎたライターって、殺される確立高いよ。
もしくは、消息不明です。
893さんに拉致とかけっこうあるし、
脅迫電話がかかってきたり、
明らかに、固定電話盗聴されてんなあとかあるもの。
フリーだから、自分で自分の身を守るしかないしな。
でも、怖いより、興味や興奮や刺激のほうが、
ずーーーとずーーーっと大きかったんだろうね。
子どもとか旦那がいたら、確実に就けなかった職業だと思う。
なのに、時の流れとは残酷なもので、
「エロ」という”女”の需要なんて、スゴく短い期間だからね。
しかも、わたしは、27歳スタートの後発も後発組みだし。
じゃあ、「実践」をもっと極めるしかない。
けれどね、楽しかったよ。
違法であるとかアブノーマルな区域に足を踏み入れるの大好きだったし、
今も大好きだし(興奮するから)。
まあでも、無茶しすぎると、気合いはついていっても、
カラダはついていかなくなるもんだからねえ。
精神いわすし、ドラック検証やった日にゃあ、
ラリッて原稿書けないわ打ち合わせに出るのも無理よ。
でもって、入院したり障害者になったりしたワケだけど、
それは全然イイし、逆に貴重な体験をしているなと思っている。
そうじゃなきゃ分かんなかったりできなかったことがいっぱいあるし、
わたしにとっては、悪くはない副産物だ。
むしろ、ラッキー。
「ライターは、不幸なほど仕事になる」
病気も家庭環境も、それを地でいけてるもの。
頭イカれてんのかも知んないけど、わたしはそう捕らえてます。
けれど、一時期スゴく弱気になってしまって、
精神病院入院を期に、危ない道でなく、
一般的な道を進もうと、ほとんどのお仕事をやめた。
今思えば、バカだわあ〜。
もっともっと、ズブズブいったほうが絶対イイのに。
ドン底までいったほうが人生楽しいって。
普通、見られない世界見れるよ。
んでもって、最終的に何が言いたかったというと、飽きてきた。
刺激のない毎日に。
細ーーーくだけどライター仕事は続けている。
けれど、それだけじゃ食えないから、
足らない分は、勝手に溜まってた貯金を崩していってた。
忙しいとお金貯まるからね。
でもって、なんだろうなあ〜。
けっこー、無難な線の仕事を持続していってて、
んで、んで、3.11関東大震災ですね。
アレで、なんか意識が変わった。
強烈なパンチだった。
何かしなきゃいけない何かしなきゃいけないって、
でも、わたしができることといったら募金ぐらいだ。
残ってた貯金を全部、赤十字に募金した。
したらね、すげー、風穴が空いたの。
心の風穴が。
「偽善」という名の風穴が。
何もなくなったら、逆に物凄ーーーくスッキリしたんです。
すんげーー、爽快だった。
あと、わたし、もう、やーーーーっとこさ、
子どもと結婚を諦めました。
諦めたっていうのは言い方悪いなあ〜。
でも、言葉にするとそんな感じになっちゃうのかなあ。
子ども、できないんだもん。
不妊治療してもダメだし。
だから余計、願いすぎて尊いすぎて頑固っちゅーか、意地になってたのかもね。
”小さいけれど幸せな家庭”
わたし自身がもらわれ子で虐待のPTSDを伴ったからか、
その”小さいけれど幸せな家庭”に憧れを持ちすぎた。
過剰に。
けれど、3.11関東大震災から自分のなかが変わっきて、
最近、嗚呼、これが結論なのかなと思いました。
「家庭」と「子ども」がないからこそ、
入り込める空間があるんじゃねえの?
「精神病」も「PTSD」も「薬物依存症」も、
当事者であるわたしにはむしろい強みでウリで武器だろ!
今ね、やーーっと、そういう感じになったんです。
捨てるモンなんて何もねーーー!
運が悪けりゃ死ぬだけさ!
初期化です。
もう、ヤりたいことできる状況なんだから、ヤりたいこと極めてやろうかって。
気が進まないことも、ヤりたいことへの助走となるもんは全部ヤります。
38歳にして、今までマイナスだと思ってたことも、
「貪欲」にプラス転換する覚悟ができた。
自分の人生、楽しみます。
どーもできないこと、あーだこーだ言ってた。
その期間は必要だったのかも知んないけどね。
はーーー、やーーっと、肝が据わった。
何がしんどかったって、ルーチンワークに飽きてた頃よりも、
何にもしないってことのほうが、ずーーっとずーーっとしんどいんだね。
気付けてよかった。
自粛、ときます。
イケナイこともいっぱいしてやるゼ!
二度目のまたまた遅いスタートになるけれど、
やりたいこと、誰にもヤれないこと、わたしだからデキること、
そんなことをアグレッシブに極めたい。
それが恐らく結論です。
「物書き」にはビックリするほど向いてないし、興味の範疇が全然違う。
だから、一生「ライター」でいると思うけどね。
自分で選んで自分で決めた職業。
わたしは「ライター」に誇りを持ちますよ。
企画書書きまくるわよ!
営業かけまくるわよ!
人生何度でもやりなおし可だぜ?
PS
グワーッて書いて読み直しとらから乱筆乱文ゴメンゴ〜♪
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