昔日記1
DATA:
2010年9月27日月曜日
単行本にのせる、今までの生い立ちや精神病具合を、「書け」と命令されたので書きます。
自分の意思ではありませんし、mixi日記に書いていることも多いと思いますが、「書け」と命令されたので書きます。
連載時の内容や文体は暗すぎるんだってぇ〜、明るく書き直せと尾形に、「書け」と命令されたので書きます。
バーカバーカバーカ、お前ん家、燃えろ!
そしたら尾形は、通常ではあり得ない駿足で家に戻ると思うので、
その様子をデジカメで撮って日記書きます。
慌てる尾形、放心状態の尾形、男泣き尾形、全てを失った尾形、
など、いろんな尾形を見れて、みんな喜ぶと思うヨ!!
そんなワケで今後は、
昔日記や精神病日記のほか、
今現在書きたいことをひっくるめたモノとなりやす。
んで、今回は幼少時代をサクッと書いてみるかあと思いました。
サクッと書いて、サクッと本にして、ザックリ金儲けしたいです。
さあ、どんな風に書きませうか。
面倒くせえなぁ〜、ラクして儲けてえなあ〜〜。
構成を考えるのも面倒なので、幼い頃から順を追ってでEだろ尾形?
お前ん家、全焼を通り越して絶賛沈下中!
<サクッと幼少期>
えっとですねえ、幼い頃は金持ちの子でしたわたくし。
まだ世間が白黒テレビ時代にカラーテレビのリモコン付き、とか、そんな目くそ鼻くそレベルですけど。
幼い頃から”父親”はいなかったです。
ってか、知らなかったです。
誕生日なんかに現れて、高価なおもちゃを買ってくれる優しいおっちゃん=おとんだったからですな。
なので、幼稚園の時とか、父親の日に似顔絵を描けと言われても、そんなもん描けるワケないですよ、いねえんだから。
「お父さんって何ですか?」と先生に聞き、先生を絶句させたとも聞きます。
もちろんその後、「なんで、そんなこと先生に言うねん!」っておかんに殴られましたけど怖いよう。
おもちゃ買ってくれる優しいおっちゃんが実はお父様。
なんだそれ、ビックラ、愛人みてぇ〜、ラマンみてぇじゃねえか。
嗚呼、幼少期かろうじて覚えてることが、
殴られたとかそんなマイナスな記憶しかありま10。
わたし可哀想!
それが強烈なトラウマだったから他を覚えていないのか、
そんなことしかなかったからそれだけを覚えているのか、
どっちかはわかりませんが、どっちでもエエです。
とにかく、なんて言ったらイイんでせう。
きらびやかな記憶がありませんねえ、うー、参ったなあ。
おかんは厳しかったです、もろ火の国の女スペシャリスト。
で、幼少時代、おかんの笑顔を見た記憶は一切ないですねえ。
いつも横顔か背中でため息ついてやがる。
ファック! ビッチ!! あの女(アマ)!!
けど、しょうがないですわよネ。
養育費一銭もなく、2人の子供抱えて、仕事詰めなワケですから。
今なら、分かりますし納得できますしむしろ可哀想おかんと同情します。
だって、子供に笑顔向ける気力すら残ってなかったってことだよな。
自分が子供持ってて全然おかしくないこの歳になって気づきますよ。
おかんがどれほどキツくてツラくて大変だったのかを。
だけんど、「おかん、大丈夫か? 晩飯は自分でヤルから少しでも寝ろ、な?」
とか言っておかんに毛布かけるチビッ子がいたならば、
それはそれで問題で狂ってるし子供らしくねえからひっぱたきたいですわ。
子供なんてのは、ウンコチンコ叫んではしゃぎまわってたらエエんです。
だけど、はしゃげない。
子供ながらにその空気は読めるんですね。
重くるしいんですよ空気が。
ズドーンと肩や背中に乗っかってきて、
一切言葉を発してはいけない気がする。
張りつめておる。
そんな幼少の頃、狂おしいほど欲していたのが、
おかんの笑顔と誉められることですね。
もうねぇ、わたくしワガママ。
「見て」「見て」「見て」「見て」「見て」「見て」「見て」「見て」「見て」「見て」「見て」「見て」「見て」「見て」「見て」「見て」「見て」
なんですよ。
殴ってもイイっす、だからお母さん、こっち「見て」。
視線が欲しいんですよ。
怒られてる場面でもイイから。
っても、わたくし模範生だったのですが。
模範生として「100点取ったからテスト見て!」とか、
「委員長になったよ誉めて!」ってな試みをしましたがムリでした(悲P〜)
どうだい?
36歳の絵文字、
可愛いだろう?
えっと、気を惹きたくて必死なんですけど、
おかんの視界に、わたくし入ってないんですよね。
幽霊、なんですよ、
透明人間、なんですよ、
存在していないワケですよ。
でもって、おかんのお疲れサインとかも見抜けない。
おかんの怒りのスイッチ、導火線も分かんねぇ〜〜。
で、自爆ばっかりしてましたねえ。
もう、とにもかくにも意味が分からない。
その頃には、もうおとんもいなく、貧乏暮らしになっていたワケですが、
メシがね、もう、はったい粉を団子にしたお吸い物とか、
うどんを生のまま食うとか、
一番強烈っだったのは、遠足のお弁当がキャベツだったことですね。
手で千切ったであろうキャベツが、こー左半分を占めて、
残り右半分が黄色くなったメシ、なのですナ。
家でだったらエエんですけど、
お弁当がこれなのは飛んでもなく恥ずかしい。
みんなのお弁当、すげえカラフルな色で可愛くて、
絶対、みんなには見られたくない。
よくいたでしょー、
お弁当の蓋立てて、中身見えないようにしながら弁当喰らう子。
あれ、わたくし
だって、わたし委員長でみんなを率いてて頭良くて優しくてお山の大将、
を精一杯演じているのに、大将のお弁当がキャベツって!
それはですな、格が落ちますので、断固見せてはいけません。
わたくし、リーダーですからね。
今考えても、リーダー格、とっておいてよかったですよ。
子供は子供を平気でイジメますから。
子供って残酷ですからね。
明日は我が身ですわ。
わたくし、ここでお山の大将ぢゃなかったら、
ド貧民、片親、透明人間なイジメられっ子って、救いがないですやん!
なので、イジメが好きだったワケではありません。
それが、当時のわたくしなりの、精一杯の処世術。
だったのですなあ、必死だったんですゴメンナサイ。
えっと、何を言いたいのかが逸れた気がしますが、
とりあえず、貧乏だったワケです。
で、家でのご飯とか、
もうどれくらいジャーのなかに入ってたんすか!?
問い正しくたくなるくらい、黄色ですえた匂いがする。
熟成されたワインとは勝手が違います。
それに加えて、わたくし食が細かったそうで、ご飯を残してしまう。
と、ダメなワケですよ。
こういうのがわたくしの突っ込みどころになるワケですね。
「いらんのやったら喰わんでエエ! 出ていけ!!」
沸騰したみそ汁ぶっかけられらたり、
お腹とか外見上は見えない部分をひねちぎられたり、
ろうそくを垂らされたりなどなどの折檻を受けるんですね。
それが怖いんです。
エコエコアザラクみたく、
「お前はいらん子、橋の下に捨てられてたいらない子……」ってずーーっと呟きながらで。
恐怖っすよ!
熱いより痛いより、ものすごい恐怖っすよ呪いですよ!
まあ、大人になってから血が繋がっていないことを知るんですが、
なので、本当に「いらない子」だったワケですね。
ちゃんと言うてくれたらそれ相応にもらいっ子らしく、
波風たてぬよう質素に生きてきたんですけど、
まさか本当だとは思わんがな!!
んで、泣く、ワケですね。
めっちゃくちゃ熱いですよみそ汁とか。
服が張り付きますから皮膚に。
だから、熱さは一瞬ではなく逃れられないワケですよ。
テレビでやってた「熱湯コマーシャル」。
あれ、本当はぬるま湯だったり水だったりで、
派手なリアクション芸により熱く見せるんですが、
あれがホンマの熱湯だったら、わたくし勝てる気がするもの慣れたモンですもの。
アイム、チャンピオン!!
ですわ。
んで、熱いし痛いし、
それガマンして大人しいしとったらエエんですけど、
泣くんですね、泣いてしまう。
そしたらあれですよ、おかんの見せ場がくるワケですよ。
エロいドラマで例えたら「濡れ場」みたいなもんでせうか。
まだ団地に引っ越す前で、一軒家だったんですけど、
玄関とか、ドア開けたらある車置くスペースとか、コンクリートなんですよね。
そこを、「出ていけーー!!」って両手首握られ、引きずりまわされるんすよね。
両乳首ちゃいますよ、両手首。
両乳首だったら、わたくしMっ毛あるんで感じてしまいますから大変です。
んだら、もー、すり傷だらけの血だらけになるんすよ。
スカートめくり上がるわ、シャツめくり上がるわ、の状態でコンクリズリズリですから。
あれね、痛いを通り越して熱いんですよ、摩擦が。
「痛い痛い痛い熱いお母さんごめんなさい!」って言うんですけど、
何が悪かったかは理解できんので、とりあえずごめんなさい。
記憶ない酒飲んだ時とか、
次の日とにかく謝りますよね、何したかを分からぬままとりあえず謝る。
あんな感じですかね、ピーピー泣いてとりあえず謝る。
んで、玄関出て車置くとこまで引きずられて、家の鍵を締めやがるんです。
んもーーーーーー、恐怖も恐怖!!
暗いし痛いし「お母さーん、イイ子になるから、なるからごめんなすわぃいい」って、
玄関のドア開けようとするけどガチャガチャ言うだけで、だって鍵締められてるから。
プラス、散々いらない子て言われてたんで、
いらない子だから捨てられる!!
って思っちゃう。
なもんだから、必死のぱっちですよ。
今だったら、あーあ、マン喫行って寝るかあ。
ですけど、当時マン喫もないし、ちうか金ねえヨ!
今の中高校生ぐらいはイイっすよねえ、羨ましい。
あの時代は、ホンマ逃げ場がなかったからなあ〜。
ここでまた再失態犯すときもあるんす。
寄せばいいのに、バカガキだから。
外は真冬とかやったら水たまりに氷張る寒さで、
心配した近所のおばちゃんとかが、
「ヨーコちゃん、おばちゃん家おいで」って暖かい部屋へ迎えてくれるんですなあ。
メシも喰わしてくれるんす。
温かくてツヤツヤで甘くて白い米、もうそれだけで一膳いけるのに、
目玉焼きのっけたハンバーグとか出されたらもう、
ウマくてウマくて口んなかにかきこみましたね。
誰かに取られたらイヤだから。
誰も取らねーけどナ!
もう最高、イヤんなるほど最高に美味しいし、暖かいし、天国ですよ、ヘヴン。
そこがバカなんですよね。
そんなことに甘えるもんで、次の日、おかんがわたくしを引き取りに行かなければで、
何倍返しやねんて勢いで殴られますから。
けど、何回か続いたらバカなわたくしでも分かりますわ。
「ここで、おばちゃん家行ったら、余計、飛んでもねぇ目に会うゼ?」って悟ります。
それに、おかんがわたくしを引き取りに来る時、めっちゃ怖いんです。
「すいません、もう本当にぃ〜、コラッ、容子!」って茶目っ気たっぷりに叱るマネをするんですが、
すっげえ笑顔なんですけど、すっげえ目の奥、笑ってない。
そのタイトルに偽りアリな、嘘にまみれたフォトジェニック賞ですよう。
で、おばちゃん家に泊まったら怖いので、朝を外で迎えるようになるんですが、
新聞屋さんが来る前に、家のなかにいれてくれるんですね、体裁守りでせうね。
それまでの時間の使いかたが分からんし、寒いし、痛いし。
とりあえず三角座りで玄関にもたれて、こすれて傷になったとこ、かさぶたのとこ、
ひっぺがしては固まらせて、ひっぺがしては固まらさせ、って無限に繰り返すんです。
なんでですかね、時間稼ぎっちゅうよりは、
その痛み血で生きてる感を感じるというか。
まったく、今現在のリスカと同じ感じです。
そんなこんなで傷だらけやしこっち見てくれないし透明人間やし。
すげえ悲しかったんですけど、これもしゃあない、今になって思います。
「なんで、母親を許せるのか?」って聞かれることがあるんですけど、
あの、その、おかんも後のわたくしと同じ、
病気やったと思うんですよ、心の病気。
細腕で2人の子供背負って仕事かけ持ちして内職までして、
おかしくならないほうが逆におかしいかなあって、理解できるようになった。
毎日がツラいツラいツラい、
だけど働かなくては子供にメシを喰わせられないし学校に行かせられない。
だけど誰に愚痴を言えるでもなく、自分1人で全部を背負わなければいけない孤独やストレス。
しかも、娘は自分の子ではないワケですから、
そりゃあストレス発散の対象がわたくしになるのが当然ですよ。
今はそう思えるんで、
育ててくれて本当に感謝してますし、
おかんも病気やったからしょうがないやん?
って思います。
今は仲良しですよ。
メールっつう、便利なもんが出来てからというもの、
「元気?」とかたくさんやり取りしてますし、
実家に帰っても笑顔が見れますから。
今はわたし、居ますし、在りますから。
本音で話したりとかは一生できないと思いますけど、
そんなもんどうでもイイす、「在れ」ば。
わたし、ずっと自分がなぜここに「在る」のか何の為に「在る」のか、
それが全然分からなくてそれがどうしようもなく生きづらくて、
永遠のテーマ殿堂1位だったんですけど、
少なくとも相方や実家でのわたくしは、今そこに存在として「在る」。
だから、それでイイやんと思っています。
すべてを解析したり憎んだりするのはしょーもないしくだらない。
今、「在る」なら、それでラクショーと思われ〜〜〜。
・幸せの敷居を下げる
・終わりよければすべてヨシ!
これが信条でございますねん。
なかなかウマくいかねえけど。
もう、自分でもウンザリするほど、
「妬みそねみ」まみれで生きてたんで、
もうエエやん、もう十分色んなものを憎んだよねえ?
もうエエやんなあ?
って感じですなあ。
否、おとんのことは一生許せませんけど、それはまたの機会にぃ〜〜〜。
だけど、一回でもイイから、「頑張ったね!」て言われたかったなぁーー。
<終わり>
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