怒る
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2009年1月9日金曜日
精神科に行ってきた。 今回の診察は幼少時代のことが中心。 そこに精神病の根元があるからだと言う。
血が繋がっていないからしょうがないのだが、 母親に存在を認めてもらえず、 肉体的精神的に折檻を受けて育った幼少時代。 それでも自分を見て欲しくて優等生になり、 しかしそれは叶わず思春期からそれまでとは真逆の自分となった。
けれど、いまは本当に感謝している。 何にせよ育ててもらったのだから。 今思えば母親も病気だったのだと思う。 そう精神科医に話すと絶句された。
怒っていいのよ。 あなたはその見捨てられる不安に縛られて極端に怒りを抑えこんでいる。 そうしてコンビニでタバコを買うのも怖いほどの人格形成が成されている。 幼少時代のあなたは頼れるものが母親しかいなかったのだから仕方がない。 でも、いまは母親に頼らずとも自分の足で立っている。 実家にいるほうが気を使って疲れる精神を摩耗するというけれど、 ならば実家に帰らなくてもいいの。 あえて怒りなさいと言うわけではないけれど、 このままではあなたの精神病の根本が解決されない。 腹が立ったり理不尽なことがあれば怒りなさい。 それで終わる人ならばそれはそれだけの関係でしかあり得ない。 本当にあなたのことを思って考えてくれている人ではない。 あなたにはあなたのことを待っていてくれる素晴らしい彼氏もいる。 怒ることが自分の器が小さいのではないかと思うことも間違っている。 あなたが母親に感謝しているということは素晴らしいけれど、 怒りを自分のなかで消化させようとすることは自分を追い込むだけ。 それでも言えないなら彼氏や私にその怒りを話して頼ってください。
そう諭された矢先に怒りというか悲しい出来事があって、 いつもなら何も言わず自分のなかに貯め込むことを、 その本人に伝えた。
生まれてからこのかた極力怒りを抑えこんで生きてきたのだから、 (もう私の人生に一生関わらないでほしい人にはキレたけれど) これで良かったのかと思う気持ちは拭いきれない部分もあるが、 そうしたことによってストレスから少し解放されたのも確かで。 そして私とその人との仲が今後修復されることがなかったとしたら、 私にもその人にとってもお互い大切な存在ではなかったのだろうと思う。
これからはそのように腹が立ったら素直に怒るということを覚えたい。 上辺だけの関係は排除していくことも必要だと思った。 そんな感じです、プゥ〜。
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